言語習得の理論を日本語レッスンに生かす Part1 母語習得

母語もまだ習得途中の子どもたちが母語とは違う日本語の語彙をぐんぐん覚えていくとき、「どうやって頭の中で処理しているんだろう」といつも不思議でした。教師をしていながら知らないとは申し訳ないと思いつつ、私はずっと不思議に思い続けるばかりでした。文法の説明などは通用しないので、遊びを通して場面の中で言葉の使い方を見せていくしかありません。実際にそのようなレッスンをしているとそれなりに手応えはあるのですが、もっといい方法があるなら知りたい、間違いがあれば修正したいなど、自分のレッスンに理論の支えがほしいと思うようになりました。子どもたちは日本語より先に母語の習得が始まっているので、その経験が第二言語の習得にも活かされているのでしょうか。まずは母語習得理論を知ることが必要だと考え、関連した本を探してみました。

母語習得プロセスのポイント

日本語レッスンをしていて驚くことがあります。「あれ?これは何かな?あっ、りんごです!」と私が余計な言葉をつけて話してしまっても、子どもはその中から「りんご!りんご!」とシンプルに単語だけをリピートします。どうして他の言葉も話しているのに、名詞の「りんご」だけうまく抽出できるのか不思議です。絵本の読み聞かせをしていると、大人の私が気づかない小さなものに気づいて「ひこうき!ひこうき!」と叫んで私に教えてくれたりします。こんなところに気づくんだ、とっさに正しい言葉が出てくるんだと驚きます。皆さんもそんな経験がありませんか。

これらの不思議は子どもが母語を習得するプロセスを知ると納得がいきます。母語習得理論に関しては、今井むつみ・針生悦子著『言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで』がとても参考になりました。子どもがどういう順序でどう言葉を身につけていくのか、その過程がよくわかります。今回はこの本の中から、子どもの言葉の学びに向き合う大人が持っておきたい視点を3つ取り上げてご紹介します。

1. 語彙は単体で扱わず、関連語彙とその違いを見せていく

語彙は複数の単語が互いに差異化されて意味領域を構成する「システム」である。ある単語の使える範囲がわかるということは,自分が学習する言語において,その単語を取り巻く単語を知り,その単語と関係した意味を持つ単語との境界がわかる,ということなのである。

今井むつみ,針生悦子. 言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3559-3561). Kindle 版.

言葉を覚えるとは、dogイコール犬のように1体1で言葉の意味を知って終わりではなく、猫、うさぎ、パンダなど犬の周りにある単語を知り、犬と猫の違いがわかって初めて言葉を覚えたといえます。犬のイラストを見せて「いぬ」と言って終わりではなく、場面や文脈の中で言葉の意味を感じ取れるようにすることが大切ですね。絵本などストーリーがあるものの中でバラエティ豊かな言葉に触れることも子どもにとって意味があります。やっぱり絵本は子どもにとっていい教材なんだなと思いました。言葉の意味をただ教えるのではなく、テーマに沿って関連した言葉を見せていくことは、子どもにとって習得しやすく負荷も軽いのです。

もう一つ、どんな言葉や場面を取り上げるかについてですが、私が大切にしていることはレッスンプランにこだわりすぎないということです。子どもが「知りたい」「言いたい」と思う気持ちが語彙の獲得につながります。教える側が子どもの状況を重視せずレッスンプランに従って強引に進めることには意味がなく、子どもの反応を見ながら柔軟に軌道修正できる力が大事です。「ここぞ」という時はレッスンプランから離れる勇気を持とうと思います。レッスン中に子どもからリクエストが来ることもあります。前回読んだ電車の絵本をもう1回読みたいとか、今やったクイズが楽しかったからもう1回やりたいとか。そんな時は子どもの希望に応えることにしています。これまでの経験から、子どもの声に柔軟に対応していくことが何よりも言葉の理解や習得を進めると感じているからです。

完璧でなくてもいい。「だいたい知っている」言葉を増やす

語彙のシステムを構築するためにはとにかく,大雑把でもよいので語彙の中にできるだけたくさんの数の「だいたい知っている」ことばを持つことが重要である。

今井むつみ,針生悦子. 言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3699-3701). Kindle 版.

1語1語を完璧に覚えることよりも、だいたいわかったというレベルの言葉を増やす方が大切なんですね。語彙のシステムの構築が始まると、システムの中にある語彙に反応して新しい語彙の習得が起こります。そのため、システムにできるだけ多くの語彙を持てるようなレッスン環境を作ることが教師の役割です。もし学んだはずの言葉の使い方を間違えていても、子どもはその後同じ言葉に触れる中で自ら修正する力を持っているとされています。中には習得に時間のかかる語彙もあるかもしれませんが、そこでストップすることなく「何となくわかっている」「だいたいわかっている」という感触を元に次に進んでいくことが語彙システムの構築につながりそうです。「犬、りんご、飛行機」という言葉をいつどこでも完璧に言えることより、なんとなく「犬、猫、うさぎ、パンダ、りんご、みかん、飛行機、車」がわかることを目指すというイメージです。ここは実は私に迷いがあった部分です。たとえば虫が嫌いな子に「カブトムシ、ダンゴムシ、ちょうちょ、トンボ・・・」などを見せていく必要はあるのかな、嫌ならカットした方がいいのかなと。でもとりあえずあっさり触れておくと、別の場面でちょうちょが出てきた時に覚えていたりしましたね。「はらぺこあおむし」のお話もより深く理解できたり。この理論はそういうことかと思い、スッキリしました。

子どもにとって学習しやすいレベルの語彙から始める

子どもにとって学習しやすい概念とは、知覚的にイメージしやすく、共有された属性の数も多く、隣接する他の概念との区別も容易なものである。

今井むつみ,針生悦子. 言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3893-3895). Kindle 版.

具体例を示すと「犬、猫、うさぎ、パンダ」は学習しやすく、「動物」や「チワワ」は習得が難しいとされています。これは日々のレッスンでもよく実感しています。そのため、初めて日本語を学ぶ子どもたちは「犬、猫、りんご、みかん、飛行機、車」といったレベルの語彙からスタートしています。「犬です。動物です」とか「この動物は犬ですね」と言ってしまうと、犬と動物がそれぞれ何を指すかわからなくなってしまうので、この段階では動物という言葉は出さず、代わりに同レベルの他の動物をたくさん見せていきます。そこにストーリーや適切な場面を持ち込むことで、子どものその言葉への理解が深まっていきますね。

まとめ

以上のポイントは日本語レッスンではもちろんのこと、親から子への言葉がけなどの参考にもなるかと思います。こちらの本には結論だけでなく実験方法や結果が具体的に書かれていて、子どもの発話場面がイメージしやすく面白かったです。『本書は言語を扱う本であるが,実験に基づいたいわゆる「理系的」な色合いが強い本でもある。』(今井むつみ,針生悦子. 言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで  Japanese Edition Kindle の位置No.304-305. Kindle 版)とあるように、実際読み慣れていないため難しい部分もありましたが、逆にその実験内容を知ることで現場でのイメージがしやすくなることも多々ありました。レッスンで持つべき視点(配慮すべきポイントとか語彙の提示の順序など)もたくさん得ることができました。1冊読むと母語習得の概要がつかめるので興味のある方におすすめです。

今井むつみ・針生悦子著 『言葉をおぼえるしくみ 母語から外国語まで』 ちくま学芸文庫

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